第三章 白塗りメリーの物語(「消えた横浜娼婦たち」より)

タウン誌「浜っ子」平成2年11月号より 撮影は同誌の記者
タウン誌「浜っ子」平成2年11月号より 撮影は同誌の記者

昨年(2009年)データハウスより発売された「消えた横浜娼婦たち」。
このサイトはメリーさんについて語った第三章全文です。

 




映画「ヨコハマメリー」で全国的に有名になったメリーさん。

しかしあれは「中村監督の描写したメリーさん像」だと思います。

あの映画の中の彼女は、生身の人間ではなく、まるで幻のよう。
メリーさんは血の通った人間でしたし、もっと多面的だったのではないでしょうか。

 

現在「白塗りメリーの物語」を電子ブック化するべく売り込み中ですが、無事電子商品化されるまで無料で公開いたします。

(公開は終了しました 

 ↓

2010年4月半ばから9月9日まで無償公開していましたが、「パプー」というブクログの電子出版サービスから電子出版としてリリースいたしました。

一部100円となります。
(無料にしました)

http://booklog.jp/puboo/book/9294



このパートを含む「消えた横浜娼婦たち」全文をお読みになりたい方は、Amazon や最寄りの書店でご購入ください。

図書館リクエストも推奨します(リクエストすれば無料で読めます!)。

 

またブッククロッシングのシステムを使った「著者自身による本の追跡プロジェクト」を利用することも可能です。
現在拙著を手元に置いている読者に連絡して、本を送ってもらえば、送料を負担するだけでじっくり読めてしまいます。
(拙著を手元に置いている読者は、ブッククロッシング公式サイトに行って本書のBCIDを入力すれば調べられます。本は三冊用意していますのでBCIDは三つあります。それぞれ、066-8088415、390-8096760、102-8103196 です。)
もちろん、運良く近くのゾーンに拙著が来ていたら、訪ねていって直接持ち帰ることもできます。

 

しばしば誤解されますが、本書は「娼婦の本」ではなく「外国人船乗り相手の娼婦がいた時代」が主題です。失われた時代を偲んで書きました。ときには進駐軍兵士が相手だったこともありますが、その歴史は長く、1859年の開港から1970年代前半までのおおよそ110年ほどつづきました。
(メリーさんだけでなく、黄金町の特殊飲食店街の歴史、船乗りの現地妻や横浜港に海賊がいた時代、「横浜異人娼館」とでもいうべきチャブ屋の様相、戦前の名物娼婦・メリケンお浜などについても書きました)

 

本書に目を通してから横浜を訪れると、単なる観光以上の街歩きが体験できると思います。
例)くらげ男の日々 2009/07/01/のエントリー

 

このサイトの制作者は著者である檀原照和本人です。

 

この原稿のひな形は、2000年から2010年1月まで公開していた「さよならメリーさん」というホームページでした(*)。このサイトは、その最終版と言うべきものです。

*現在も下記のURLで読むことが出来ますが、内容は当サイトとはかなり違います

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ポシブル堂書店:ドキュメンタリーの本棚
http://pbc.cool.ne.jp/necom/index42.html





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10年におよぶ取材で明らかにされる「語られなかったヨコハマ正史」。
それはロマン以外には何も生みださなかった港町が、海上貿易の衰退によってそのロマンすら失い、
月並みな観光地へと収束していく歴史だった。

進駐軍物資を襲う海賊から、メリーさんの知られざる物語まで。

タイトルこそ「横浜娼婦たち」だが、むしろ娼婦の話をフックにして街の裏面史をえぐり出した本。


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冒頭部分のみ、試し読みできます。

 ↓ ↓ ↓

●港のマリー


 岡山県の深央部。外界から半ば隔絶された山里。それが少女の故郷だった。村人の多くは海を知らないまま、一生を終える。

 旧制小学校を卒業して三年すると、父親が他界した。それから少女がどんな足取りを辿ったのか、誰も知らない。はっきりしているのは横浜に流れ着いたこと、いつのまにか「港のマリー」と呼ばれるようになっていたことくらいである。


 昭和二十年代。戦争に敗れ、最盛期には九万六千もの米兵が進駐していたという横浜港周辺には、夜の女たちが陣取り、春をひさいでいた。
 
 皆、米兵から英語名をつけられ、あるいは顔を売って懇ろになってしまおうと、自ら英語名を名乗った。当時はキティー台風やジェーン台風といった具合に、自然現象さえバタ臭い名前だった。日本娘の名前がアメリカ風だったとしてもなんら不思議なことはない。キャシー、リンダ、エミリー……。そのなかにマリーと呼ばれる女がいた。
 
 作家の北方謙三は、平成四年一月一〇日に行われた紀伊國屋ホールの講演会でこんな風に語っている。


「僕の父親は船長で、一年のうち十一ヶ月は外国航路についているような生活をしていました。つまり日本にいるのは一ヶ月だけなんです。帰国中の父親に会うため、母親と一緒に夜行の汽車で(居住地である)九州から横浜まで旅することが多かったのを覚えています。

 当時の横浜は今のようにおしゃれな所ではなく、とにかくバタ臭い所でした。華やかな部分もあったものの、ヤバい地区も存在していて、黒澤映画の『天国と地獄』そのままの世界。文字通り『地獄の口』が空いているような場所もありました。
 
 日ノ出町、黄金町、真金町なんてすごかった。ジャンキーが禁断症状起こして、震えている所なんかも見ましたよ。躰を縮めてお互いの顔なんて見ようともしない。きれいなお姉さんが服を引きちぎるようにして躰を掻きむしったまま倒れてしまい、そのままドブに半分はまってしまうところとか。昭和二〇年代初めのことですけどね(*註1)。
 
 父親に連れられて横浜の街を歩いていると、金魚みたいなひらひらした服を着たお姉さんが『キャプテーン』と言って走ってくることもありました。つま先まで真っ赤に染めて、化粧も仕草も本当にきれいで、僕が生まれて初めて『女だな』と意識した存在。当時の言葉で言うパンパン(*註2)だったんだけど、見たこともないほどきれいだったね。僕の父親は船長でしたから、部下を管理する責任があったんですよ。で、その彼女は『お宅のナンバー○○ボイラーがケンカしてたわよ』なんて、航海で寄る度ごとに報告してくれる人で『マリンさん』という名前でした。
 
 いまも横浜には『港のマリー』という人がいるんですよ(*註3)。いまこの季節は真っ赤なコートを着て歩いてるんじゃないかな。銀髪で後ろから見ると外人みたい。前から見ると髪を染めた普通のおばあさんだと分かるんだけど。
 
 あるとき、このマリーさんに会ってみたんです。後ろから『マリンさん』と声をかけたら振り向いて『はい?』……分かんないんですね。幼い頃見たマリンさんと(港のマリーが)同じ人かは分からない。千円渡して別れました。きっと彼女はもう現役ではなくて、酔客からお金をもらって暮らしているんじゃないかと思うんですね。
 
 昔、横浜にはマリーという名前の人がいっぱいいたと思うんです。『港のマリー』だけではなくて、『本牧のマリー』や『馬車道のマリー』もいたんじゃないかな」


 北方が言うとおり、港の辺りにはたくさんのマリーがいた。これからお話するのはその中の一人、もっとも有名なマリーの物語である。


*註1 北方謙三は昭和二二年生まれである。昭和二十年代初めのことを記憶しているとは思えない。年号に関しては北方の記憶違いだと思われる

*註2 昭和二五、六年当時、移動証明書がなくても女性が働けるところはパチンコ屋と赤線くらいしかなかった。仕事の絶対量自体が少なく、雇用は男性が優先された。都会に出ても仕事にあぶれ、生活のために身を売った女は大勢いたと思われる。

*註3 北方が「マリン」という名前と「マリー」という名前を区別していない点は興味深い。同様に年配者は「マリー」「メリー」「マリア」といった名前を区別していないことが多い。本書でもこれらの名前は区別しないものとし、以後、基本的に「マリー」も「メリー」と表記することとする。

 

 

●白い老女

 その老女は明らかに異様だった。顔はどうらんで塗りつぶされ、真っ白なドレスをまとっている。文字通り全身白ずくめだ。目元は アイラインと呼ぶのがはばかられるほど濃く強調されていた。年齢のせいであろう、背中がかなり曲がっている。背丈は一四〇センチくらいだろうか。日の当た る時間帯にはあまりにも場違いな風体であった。老女は「メリーさん」とよばれている。街の噂では外国人専門の高級娼婦だったらしい。

 メリーさんのことは誰もが見て知っていた。彼女は街並の一部であるかのごとく振る舞い、横浜にいれば自然と会えたのものだった。物腰からは気品と威厳が立ち こめ、軽々しく声を掛けるのはためらわれた。もちろん、なかには彼女のことをまったく知らない人間もいて、運悪く鉢合わせ、ぎょっとすることもあった。そ んな彼女がいつから横浜にいるのか、本当のところは誰も知らない。

 末藤浩一郎というフリーライターがいた。末藤さんは太田出版の雑誌 『Qucick Japan Vol.5』(平成七年 一二月)にメリーさんのレポートを執筆。この記事には反響があり、太田出版の「八〇〇円シリーズ」のラインナップの一つとして出版する、という企画があ がった。しかし彼はメリーさんに圧倒されて取材をつづけることが出来ず、ライターを廃業してしまったという。

 わたしは平成一九年二月の大雨の夜、末藤さんに会って体験談を伺った。

「メリーさんは狂気と正気の紙一重の状態。まったく正気でもない。ダークサイドでもある。そういう人は人を惹きつけるんですよ」

 

つづきは電子書籍でお楽しみください(無料です)

 ↓

 http://booklog.jp/puboo/book/9294

 

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コメント: 2
  • #1

    檀原 (火曜日, 07 9月 2010 02:52)

    はじめて感想を頂きました。
     ↓
    she didn't kiss anyone's arse白塗りメリーの物語|BANANA SPIRIT
    http://ameblo.jp/salsa-dip-floppy/entry-10633073098.html

    取材することより、原稿を書くことより、感想を頂く方がずっとむずかしいと感じます。

  • #2

    檀原 (金曜日, 10 9月 2010 10:30)

    2010年9月10日朝を持ちまして、無償全文公開を終了いたしました。

    公開期間中のビジターの動きは、以下のようでした。
    (google analyticsによる分析)

     セッション数 3,904

    セッションあたりの閲覧ページ数 5.66

    平均サイト滞在時間 00:11:06

    新規セッションの割合 79.15%

    直帰率 55.64%

    毎日20〜30人程度の方が訪れてくださいました。
    ありがとうございます。

    今後は同じ内容を書籍「消えた横浜娼婦たち」、または電子書籍「消えた横浜娼婦たち 第三章」でお楽しみください。


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